前回、お話ししたとおり、
ぼくは、話し方教室において、
毎回、大勢の人の前で、3分間スピーチをこなしたことにより、
自分の中で、少しずつですが、
人前で話すことに対して自信が持てるようになってきていました。
Contents
研究発表会でのプレゼン
そんな折、会社の上司から、
ある学会の、次の研究発表会で、
うちのグループで手がけている開発中の技術について、
発表するように言われたんです。
ついに、グループリーダーであるぼくに
プレゼンターとしての役割が回ってきたのでした。
そう言われた瞬間は、正直なところ、すごく気が重かったです。
自分が、200~300人の前で堂々と話す姿がどうしても想像がつかず、
反対に、しどろもどろになって、真っ赤な顔で立ち尽くしている
惨めな姿しか、思い浮かびませんでした。
しかし、このことを京子に話すと、
彼女は、とても喜んでくれて、
「またとないチャンスじゃない!
真一君なら、きっとできるわ。がんばって!」
と励ましてくれたんです。
ぼくも、その言葉を聞いて、
『確かに、もし、この研究発表のプレゼンがうまくいけば、
自分のあがり症を克服するきっかけになるかもしれない』
と思い、気を取り直して、
プラス思考で考えることにしました。
当然、準備は念入りにしました。
プレゼンの練習も、ひとりで50回はしました。
職場のみんなの前でも、練習をしました。
そして、研究発表の当日です。
会場となった、300人ほど入るホールは、ほぼ満席状態です。
発表者は順番に壇上に上がり、
スクリーンに映し出された資料に沿って、
プレゼンを行います。
ぼくは、最後から2番目だったので、
発表者控え席で待っていました。
待っている間、ぼくは、
自分の発表のことが気になり、
気分的に、完全にテンパッテいました。
他の人の研究発表を聞く余裕など全くありません。
前の人の発表が終わり、いよいよ、ぼくの番です。
心臓がものすごい音で鳴っているのを感じました。
紹介と共に、壇上に上がると、
天井につるされた、いくつものスポットライトに照らされて、
南国の空のように、まぶしかったのを覚えています。
そのまぶしさの向こうに見える客席は、
黒々とした怪物のように見え、
今にも自分に襲いかかってくるんじゃないかと感じました。
マイクの前に立ち、顔を客席に向けると、
300人の視線がいっせいに、ぼくに突き刺さってきます。
足はがくがくし、手にはじっとりと汗をかいているが分かります。
一瞬、『やっぱり、ダメか』という思いが心の中に広がりました。
でも、そのときです。
ぼくの耳元で、
「がんばって!」
とささやく、京子の声が聞こえたような気がしたんです。
ぼくの頭の中で、「カチッ」と何かのスイッチが入りました。
一回、軽く深呼吸をしました。
すると、さっきまでの緊張状態がウソのように消え去り、
何故か、落ち着いている自分を発見したのです。
「みなさん、こんにちは、・・・・・・」
マイクを通して、ホールに響き渡る、
自分の第一声が聞こえます。
発表内容は、完全に暗記していたため、
プレゼン中は、夢見心地というか、
一種のトランス状態にあるような感じでした。
終わってみると、ぼくは、
客席からの拍手に包まれていました。
懇親会を終えて、家に帰る途中、
京子に電話し、取りあえずの成功を報告しました。
「本当におめでとう!!」
京子は心の底から喜んでくれました。
そして、
「大勢の人の前でプレゼンができたんだもの、
これで、あなたはあがり症から卒業ね!」
と言われました。
そのとき、ぼくは、自分だけがうまくいっていることに
後ろめたさを覚え、
同じあがり症である彼女に対し、
すごく悪いような気がしたんです。
しかし、この、300人の前でしたプレゼンの成功は、
ぼくに、今までにない自信を与えてくれたことは確かです。
「おれは、ついに、あがり症を克服したんだ」
「もう、人前で話すことなんか、へっちゃらだ」
自分の心の中で叫んでいました。
と言うより、
自分に言い聞かせていたといった方が正しいかも知れません。
結婚披露宴でのスピーチ
そんなとき、大学時代の悪友から、
「結婚するんで、スピーチ頼む」
との連絡がありました。
これも、一つのチャンスかと思い、
披露宴でのスピーチを引き受けることにしたんです。
取りあえず、準備はしっかりとしました。
スピーチ練習は、ひとりで30回はしたと思います。
その上、京子にも手伝ってもらって、
公園で、彼女の前でもスピーチし、
案の定、いくつかのダメ出しをもらいました。
本番当日、披露宴会場では、
前回の研究発表の時と全然、雰囲気が違うため、
多少、緊張はしたものの、
やはり、研究発表での成功の自信があったため、
何とかこなすことができました。
これによって、ぼくは、ますます、自信を深めたんです。
「もう、大丈夫だ」
「治ったんだ」
ぼくは、長年のあがり症の悩みから解き放たれた喜びに、
有頂天になっていました。
しかし、今から考えれば、
あの頃の自信が大きな落とし穴だったのでした。