ごあいさつ


こんにちは、真一です。


ぼくのブログに来てくれて、ありがとうございます。

ぼくは、現在、中堅メーカーに勤める会社員で、
会社では、開発担当の研究職をやっています。

今は、都内の外れのアパートに住んでいます。
ちなみに、まだ独身です(まぁ、どうでもいいことですけど)。


ぼくは、小学校時代のトラウマが元で、あがり症になってしまい、
そのあがり症のせいで、精神的にどん底の経験をしました。


しかし、西村順さんのあがり症克服の方法を知り、
長年のあがり症をどうにか克服することができ、
今では、ささやかながら幸せな毎日を
送ることができるようになりました。

もし、あなたが、以前のぼくのように、
あがり症が原因で積極的な人生を歩めていないのであれば、
ぼくの経験してきたことを伝えることによって、
わずかでも、あなたの手助けになるのではないかと思い、
このブログを立ち上げました。



よろしければ、ぼくの話に、
しばらくの間、おつきあいください。



あがり症になった原因


そもそも、なんで、ぼくがあがり症になったかというと、
小学校時代、いじめっ子たちによってぶん殴られた上、裸にさせられ、
そのあと、そんなぶざまでひどい姿を大好きな女の子に見られて
恥ずかしさで真っ赤になってしまったことが発端です。


それ以来、緊張すると顔が赤面し、
そのため、「アカ夫」とあだ名され、
事あるごとに、はやし立てられるようになってしまったんです。


中学・高校の頃


中学,高校と、好きな女の子がいても、
小学校時代の事が思い出され、
告白はおろか、まともに話すらできませんでした。

また、授業中も、
答えがわかっても、手を挙げることができず、
たまに先生に当てられると、意地悪な奴らが、
「注目!アカ夫が何か言うぞ!!」とはやし立て、
そのため、顔が赤くなる始末。

すると、
「ほら、真っ赤になったぞ!!」とさらにはやし立てられ、
皆の笑いものになっていました。
先生も毎度のことなので、あきれかえっていました。


社会人になってから


社会人になって、
某電機メーカーの研究職に就きました。
研究職のため、実験等が多く、
知らない人と話す機会はほとんどないため、
自分のあがり症もそれほど気にせず過ごすことができたんです。

しかし、入社して5年ほど経つと、
学会などで研究発表の役割が回ってくるため、
ひどく憂鬱になりました。

そこで、自分のあがり症を克服し、
大勢の前でもブレゼンやスピーチができるよう、
話し方教室に通うことにしたんです。


話し方教室に通ってみて


標準コースで6万円と、
当時のぼくにとって、かなりの値段だったんだけど、
これで、今までのあがり症が治るんなら、安いものだと思い、
ボーナスを使って支払いました。

この話し方教室では、良いことが2つありました。

一つは、大勢の人の前で話すことを何度も経験したことにより、
自分の中で、話すことに対する自信が持てるようになったことです。


確かに、その後、ある学会で研究発表があり、
初めて、ぼくが発表者として発表したときも、
話し方教室で得た自信があったため、何とかこなすことができました。


もう一つは、京子と出会えたことです。
グループに分かれて、ロープレ(ロールプレイング)をし合ったとき、
彼女とは同じグループになり、
帰る方向も一緒だったため、その後、話すようになりました。

後から聞いてわかったんですが、
彼女もぼくと同様、あがり症で悩んでいて、
それを治すために、この話し方教室に来たそうです。

彼女とは初対面の時から何故かリラックスして話ができ、
普通でいられる自分を発見したんです。
彼女も、同じように、
ぼくとは、すごく話しやすかったようです。



ぼくは、人前で話すことへの自信、
そして、女性と話すことのへの自信を覚え、
「俺はあがり症を克服したんだ」と自分に言い聞かせていました。


でも、後から考えれば、
そのような自信が、自分にとって、大きな落とし穴だったんです。


 

最大の試練


ある日、商談相手の社長の前で、新製品の説明をすることになりました。
その社長は見るからに威圧的で、ぼくは、その社長に、
小学校時代のいじめっ子(ぼくを裸にさせたいじめっ子)の姿を
重ねてしまったんです。

それが、いけませんでした。

ぼくは、うつむくような感じ、説明を始めると、
その社長は、突然、
「何で、あんたは、こっちを見て話さないんだ!!」と大声で怒鳴ったんです。

ぼくも含め、その場にいた全員が凍りつきました。

「人に話をするときは、相手の目を見るもんだろう!」
「目を見られないと言うことは、何かやましいことでもあるのか?」
「この製品に、何か隠したいことでもあるのか!」
と、その社長は一方的にまくし立てたんです。

ぼくは、頭の中が真っ白になり、
心臓がバクバクし、足下がガクガクしました。

ぼくの上司は、平謝りで、何か言っている様子なんですが、
ぼくの耳には何も入りませんでした。

そして、
その後のことは、ほとんど何も覚えていません。

後で聞いた話によると、
上司がぼくの説明を引き継いでくれたんですが、
社長の怒りは収まらず、商談は破断となってしまいました。


転落


その後のことは、正直、あまり思い出したくないです。
かいつまんで言うと、
ぼくは、人前に出るのが非常に怖くなり、会社へも行けなくなりました。

同僚や上司が心配して、アパートまで来てくれたんですが、
ぼくは、直接、顔を合わすことができず、ドア越しに、謝るばかりでした。

外出もほとんどせず、アパートに引きこもるようになりました。

休み続きで、このまま会社に迷惑をかけるのも心苦しくなり、
最終的に、会社に退職届を出すことにしたんです。


会社を退職すると、
気分的にはいくらか楽になりました。

もう、会社に行かなくて済む。
一日、誰とも、会わなくて済む。

そう思うと、心の重荷の一つから
解放されたような感じでした。

でも、会社を辞めたからと言って、
問題の根本的な解決にはなっていないことは
自分でもよくわかっていました。

「何とかしなくちゃ・・・」
「もし、このまま、社会復帰できなかったら、どうしよう。」

そんな思いが、いつも、頭の中をよぎっていました。

そうなると、今度は、不安と焦りという新たな重荷が
ぼくの頭の中を支配するようになってきたんです。

しかし、自分でも、何から手を付けたらいいのか、
わかりませんでした。

ぼくは、袋小路に迷い込んだネズミのように、
アパートの部屋の中で、独り、うずくまっていました。



京子には、退職届を出した次の日に、メールで、
会社を辞めたことと、
しばらく、独りにしておいてほしいこと
を伝えました。

すると、京子からは、すぐさま、電話がありました。

ぼくは、迷ったあげく、電話に出ると、
「大丈夫?」という優しい声が聞こえました。

ただ、こんな無様な姿を彼女に見せたくないという気持ちから、、
「今は、誰とも話したくないし、誰とも会いたくないんだ。ごめん。」
と言うのが精一杯でした。

そんな気持ちが伝わったのか、
「わかった。 何かあったら、いつでも、連絡ちょうだい。 待っているから・・・」
そう言って、電話が切られました。



それ以来、京子からは、
ひとつも連絡が来なくなりました。


不安と焦りの日々を送っていると、
人間って、通じ合えると、身近に思ってた人さえも、
信じられなくなるものですね。


京子からの連絡が、まったく来なくなると、
自分から、拒絶したことも忘れて、
連絡もくれない彼女を、
恨めしくさえ思うようになっていました。

「なんで、メールくらい、寄越さないんだよぉ」
「少しは、気にかけてくれても、いいのに」

ぼくは、独りで、毒づいていました。

しかし、自分からは、
京子に連絡する気にはなれません。

そして、日がたつにつれ、
ぼくは、「ついに、京子にも、見捨てられた!」
と思い始めていました。



そんな状態なので、医者に行った方がいいかとも思ったんですが、
ぼくの中で、精神科に行くことに、すごい抵抗感がありました。


実は、大学時代、一度だけ、精神科を受診したことがあるんです。
当時、あがり症が原因だったのかどうかわかりませんが、
自分の存在が凄く希薄に感じるようになり、
強い強迫観念にとらわれる時期があったんです。


そのとき、
精神科の門をくぐる際、誰かに見られているんじゃないか、とか思ったり、
診察後、医者から大学や両親のもとに、
自分に内緒で何か知らせが行くんじゃないか、とか思ったりして、
すごく恐怖にとらわれたことがあったんです。

そのため、精神科へは、その1回行ったきりで止めました。
それ以来、精神関係の医者には関わりたくなかったんです。


なので、「やはり、自分の力で何とかしなければ、
今の泥沼の状況から抜け出すことはできない」

そう、思うようになっていました。


そこで、何か、解決のヒントはないかと、
アマゾンから「あがり症」や「赤面症」などに関する本を
片っ端から買い込み、むさぼるように読みました。

しかし、どれを読んでも、
ぼくの心に、ピンとくるものはありませんでした。

実際、どの本を読んでいても、
書かれている内容に、
どこか他人事のような空々しさを覚え、
どこまでも、上滑りしているような感覚にとらわれました。


「どれも、これも、今の自分の助けにならない」

そう、感じ始めていました。


しかし、今になって考えてみると、
あの頃のぼくは、まだ、
「自分の力で何とかしないといけない」
と決心したものの、
心のどこかに、それを拒絶する部分が
残っていたのかもしれません。

そのため、例え、本の中に有益な情報が書かれていたとしても、
それを受け入れるだけの準備が、ぼくの頭の中で、
まだ、できていなかったのかもしれません。

だけど、あの頃のぼくには、
そんなことに思いも及びませんでした。

もうこれ以上、読んでも無駄だと思い、
本を読むのを止めました。


「自分でも、どうすることもできない!」
「どうしていいのか、さっぱり、わからない!」

そんな思いが頭の中を支配し、
自分の周りに、見えない高い壁が張り巡らされ、
そこから、永遠に抜け出ることができないような感じがしました。

自分で自分自身を追い詰め、半ば、絶望的な気分になっていました。



救いの手


そんなとき、京子からメールが来ました・・・



そのメールには、次のようなことが書かれていたんです。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

今のあなたに何をしてあげればよいか、
途方に暮れていたので、
連絡できずにいて、
ごめんなさい。

あなたのことが心配で、
あなたに役に立つような情報はないか、
ネットでいろいろ探してみました。

そうしたら、
こんな情報を見つけました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


そこには、リンクが張られていました。

ぼくは、導かれるままに、そのリンクをクリックし、
そのページに書かれている内容を読み始めました。

そこには、「これって、まさに、俺のことじゃないの?」
そう、思えるようなことが書かれていたんです。



そのページこそが、
ぼくと、「西村順式あがり症克服」との出会いでした。

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